top of page

お知らせ

検索

先祖を辿る2

  • 執筆者の写真: 真次 松村
    真次 松村
  • 4月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:6 日前

東京都町田市三輪緑山の歯医者さん

まつむら歯科医院の松村眞次です


いつも

ありがとうございます。

m(_ _)m


先祖を辿る2

先日、秋間仁右衛門の話を致しました。

家督を継いだのが、十郎右衛門になります。

味岡禮質氏の実兄のようです。


さて

この時代の前に

1753年頃から1755年頃(宝暦3年頃)

安藤家では、騒動がありました。

老中安藤対馬守信友公は、1732年に身罷りました。

家督は、孫にあたる安藤信タダ公です。

素行がよろしくなく、問題行為が多かったのに加え

財政を悪化させたことで、領民への重税を課して

騒動を引き起こします。

江戸家老坂田斎宮は、幽閉しました。

しかし、側近との対立に合い、露見してしまい

それに巻き込まれて、多くの者が処罰されました。

美濃加納藩は、急遽 信成公に家督相続させ

1756年に磐城平藩へ転封の上、1万五千石を減らされ

五万石で入りました。

この時の「仕置き表」の中に

大目付(藩主直属の監察官)として名を連ねていた人物が

「味岡弥右衛門」になります。

処罰は、構い無しでした。

味岡禮質が家督相続する丁度百年前になります。

この間、五代から十代に安藤家は、主君が変わっていきます。

十代信正公に至るまで、味岡家は、2人ぐらい居たんじゃないかと

推測しています。

「安藤騒動」以後、信成公は、奏者番を経て老中へ就任し

幕府へ忠誠を誓い、忠勤に励みました。

老中就任の報奨として美濃領1万八千石を加増されます。

1803年頃になります。

 
 
bottom of page