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系譜(家系図)

  • 執筆者の写真: 真次 松村
    真次 松村
  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

東京都町田市三輪緑山の歯医者さん

まつむら歯科医院の松村眞次です


いつも

ありがとうございます。

m(_ _)m


系譜というものがありますが

所謂、家系図のようなもの

現在は、戸籍を使う方法で

分かるのですが

「原戸籍」というものを使うようです。


戸籍は、明治政府になって

書き直されているようですが

各地域毎の近代史などで

記録が残っているようです。


現在は、デジタル化により、国会図書館などで

調べることが可能なのだそうです。


先日、我家の場合、1750年頃まで上ることができました。

養子縁組を使い「家門」を残すというのが

常識であった時代です。


皇族・貴族で1%

武家7%

農民89%

商家など3%

江戸時代です。


皇族・貴族は、0.1%の堂上貴族(高級貴族)

残り0.9%が下級貴族だそうです。(堂下)


武家は、3%が上士・中士。

4%は、郷士・卒士。

という区分です。


農民でも

土地持ち、小作農に分けられる頃。

大多数が小作農だった。


税金が「米」ですので

農民は、非常に重要な仕事をしていました。


この頃の記録は、地方行政の重要な歴史的記録として

各地で残されているので

教科書などよりも、正確に出ています。

足軽として存在した下級武士は、大半が半農だったりします。

ある程度「学問」を修め、農民の代表をしたりしたものが

「庄屋」のような身分で「名字帯刀」として農政に役立っていたようです。


武士の大半は、知行として領地を与えられていますが

実質的な所有権では、無かったと考えられています。

城下に屋敷を拝領していても、所有権は藩主だったようです。


領地替えなどにより、藩の収入が増減しますので

とても財政難であったようです。


譜代大名は、家格により「役付き」になれる「家」とそうでない家

があり、とても苦しい大名も、多数いたらしい。

役にありつくための「外様」でも、恭順を示し、譜代格になる家も

多かったようです。


直参でも、大多数が「御家人」で有るため、内職をしていたと記録されています。

「旗本」でも、知行高によって、江戸の物価に耐えられない事も有ったようです。


武士にとって「家門」と「家格」は、重要な名刺であり

それは、アイデンティティーを示す意味で「核」だったと言えます。



 
 
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